神様がくれたのんびりする日がある
不意に、何故だか予定も何も入らず、特にする事も無い日って時々訪れませんか?
そういった日を、退屈だと嘆くよりも、自分に神様に与えられたのんびりする日だと考えるとまた違った一日を送れますよ。
考え方を変えると、そんな日があるから、人生が豊かなんだと思える様になってきます。
✅自己があれば一日が充実する
自分の生きる方向性がハッキリしている人だと、そういう一日が訪れても、何か自分がしたいことが湧き出てくるんですよね。
常に、何をするかのストックがあるので、のんびりの日が訪れても何も恐れる物がありません。
それに、自己がある人は何もしないことを楽しめる様になっていきます。
自分が何もしなくても、世界は動いていて、鳥のさえずりや、風の音、草の香りなどだけでも、楽しめる様になっていきます。
そういうものを楽しめる様になった人間は強いです。
✅何もしないことに価値がある
退屈に怯えている人は、無駄に予定を入れてしまいがちです。
けれど、良い考えっていうのは、何もしない時に浮かんだりするものです。
たとえば、散歩をしていたり、お風呂に入ってぼーっとしている時にふといいアイデアが浮かんだりしたことありませんか?
いつもちょこまか予定を入れてしまうと、そういう時間が取れなくなってしまいます。
せっかく神様に与えられた、何にもない日を楽しめる人間になっていきましょう。
✅まとめ
この頃のわたしたちは有益な事に囚われがちになっています。
多分、情報が大量に行き交う現代だからこそ、何もしない、のんびりとやる日を作れる人の方が価値がでてくるのかもしれません。
時間は有限で、貴重ですが、その貴重さを感じるのはのんびりできる人間だからかもしれません。